新人時代をICUで過ごし、現在はデイサービスでパートをしているはな(@hana8787hanae)です。
今回のインタビューは、大学病院のICUや透析、訪問看護などの経験を持ちながら、障害を持つ方の地域での暮らしや災害看護にまで詳しい、あゆみさんにお話を伺いました。
私にはない、看護師らしい奉仕精神にあふれたお話を聞くことができました。
ぜひ読んでみてください。
ICUや透析、訪問看護など職歴豊富なあゆみさん
―――あゆみさん、インタビューにご協力いただきありがとうございます。まずは簡単な自己紹介をお願いします。
大学病院のICUで5年ちょっと働いた後、透析や訪問看護で働き、今は一般病棟に勤務しています。
8月から重症心身障害児のデイサービス(以下、重心デイ)で働く予定です。
―――1年目からICUは私も経験しています。大変ですよね。ICUを希望したのはなぜですか?
学生時代に実習に行くと、内科より外科が楽しかったんです。
もともとスローな流れよりも効率よくやりたいタイプなので、外科系のほうが向いているかと思い配属希望は消化器外科とICU・救急に出しました。
そうしたらICUに配属になったという流れです。
―――なるほど。そのあともいろいろな職場で看護師をされているのですね。
人が通らない進路ばかり通ってきているので、転職で履歴書を出すたびに「なぜそんなにあちこちで働いてるの?」と聞かれます。
転職回数が多くても、理由が明確であれば不利になることはない
―――転職活動中に多くの職場で働いていることを聞かれた際は、どのように回答しているんですか?
「そのときに興味があるものを選んだら今の形になった」と伝えています。
透析は8ヶ月、訪問看護は1年しか続きませんでした。
看護師歴が12年なので、普通の人と比べると転職回数は多い方だと思います。
雇う側は聞きたいことがたくさんあると思いますが、しっかりした理由があれば納得してもらえます。
―――透析看護や訪問看護(以下、訪看)が続かなかった理由をお聞きしてもよいですか?
透析で働いた病院は、大学病院のICUと比べて感染や安全管理があまくて…ここにいたら患者さんを守れないと思いました。
職場を変えようとしたけど、勤務歴が長い人のやり方が浸透していて私の力ではどうにもならず。
こちらから現場を去ることにしたんです。
―――大変だったんですね。
訪看は社長との相性が合いませんでした。
もともと、30代半ばくらいからやりたいと思っていたところで「訪看の立ち上げを一緒にやらないか?」と声をかけてもらったのがはじまりです。
訪看は、考え方が病院とはまったく別物でした。
立ち上げのところで、訪看未経験の私がいきなり入ったのも問題だったと思います。
事業所選びは大切だと思いました。
※詳しくはこちら。
大学病院のICUで、医療の概要をつかんだ
―――透析の「患者を守れないと思ったから辞めた」という話、人によってはその場の雰囲気に合わせてなんとなく続けてしまいそうですが、そこで行動したのもあゆみさん自身が「守りたいこと」があるからなんじゃないかと思います。そういった自分の軸って、どこから来ているのでしょうか?
中途半端なことに抵抗を感じるのは、大学病院のICUで働いたことが関係していると思います。
ICUってマニュアルがありますし、感染や医療安全も全てしっかり管理されています。
なので、民間の病院に移ったときに度を超えて「えっ?」と思うことがありました。
例えば、救急カートの物品が期限切れのものばかりで、いざというときに使えなさそうだとか。
―――確かに、私も他の現場を見ると「あれ?こんな適当でいいの?」と思うことがあった気がします。
大学病院から民間の病院に転職する人って、状況の違いをある程度覚悟しなきゃいけないと思うんですよね。
もちろん「郷に入ったら郷に従え」というルールで適応しなければいけない場面もありますが、患者さんの安全にとって明らかに「ダメでしょ」というときは受け入れが難しくて。
大学病院で医療の概要をつかんだ感じはあります。
居宅ヘルパーとICU。2つの相反する経験を経て「患者サイドに立てる医療者になりたい」という看護観がより明確に
幼稚園と学生時代の経験が、看護師としてのあり方に影響している
―――あゆみさんのブログを読ませていただいて、障害のある方達についての話題が多いように感じました。この辺りに興味をもったのはなぜですか。
小さい頃通っていた幼稚園に、障害のある友達がいたんです。
参考:
私が通っていた幼稚園には、各クラスに1人ずつ、何らかの障害をもっている子がいました。私のクラスには、Mちゃん。私も幼稚園…
障害者という人に対して、幼少期に一緒に過ごしていない人と比べたら壁は少ないのかなと思います。
大学生のときは、無資格でできる居宅ヘルパーのアルバイトをしていました。
障害を持ちながら地域で暮らす人たちと、地下鉄に乗って映画を見に行ったり、ホテルの障害者トイレに入るのを介助したり。
看護師になってからの医療職者から医療者への指導って「医療者目線」ですが、私は看護師として現場に出る前に「地域で暮らす方の生活」に入っていました。
そのため、当事者さんから教えてもらうこともたくさんありました。
※参考
―――貴重な経験をされているんですね。
そのあとICUで根本的な医療の基礎を叩き込まれながらも、学生のときに考えた「ご本人がどう生きたいか、どう生活したいか」っていうことが1番大切だと思って。
私たちはあくまで支援者で、主役は患者さんや地域で暮らす方なんですよね。
そこを体感できたのが、私の働く感覚に影響していると思います。
5年半の大学病院ICU看護師時代を経て、転職
―――ICUで活躍されていたと思いますが、辞めたのはどういった理由からですか?
私が働いていた病院は、5年間で一人前の看護師を育てるというカリキュラムがありました。
入職したときに「5年は働こう」と決めて頑張っていたのですが、5年目の自分の姿が見え始めた3,4年目からいろいろ考え出して…
―――その時期に悩む看護師って多いですよね(私もそこで辞めました…)。
学生時代は、受験や国試などの目標があって頑張れましたが、看護師になった先のことってあまり深く考えたことがなかったんです。
看護師になったはいいけど、私はどんな未来に向かって走っているんだろうって。
1,2年目は目の前のことに必死になるしかないけど、3〜4年たって余裕ができると「何のために頑張っているんだろう?」となって人生を考えました。
―――わかります。
ICUで、目の前の患者さんが意識がないけど生命として生きているという現場をたくさん目にしました。
当時の自分も「意識はあるけど、意思がないまま生きているな」と思って。
そのときに学生時代の居宅ヘルパーの経験が頭をよぎったんです。
医療の現場っていろいろあって、大学病院で先進医療・高度医療をすることも大切だけど、そこはやりたい人がやればいい。
私は患者サイドに立てる医療者でありたいと思ったときに、Aちゃんと出会ったんです。
※Aちゃん:先天性の気管狭窄症で気管切開をしている元気な女の子。あゆみさんはその家族の看護師ボランティアチームに参加していたそうです。
このとき本当に「この人のために、この家族のために役立ちたい」と思って、ご家族からも「あゆみちゃんだからお願いしたい」と言われたんです。
その子のためを思って仕事をすることって、ハードスケジュールでも全然辛くなかった。
そのとき気づいたんです。
「私、こういう看護がやりたかったんだ」って。
―――素晴らしい!
病院の忙しさや夜勤が嫌というわけではなく、潜在的なモチベーションがどこにあるかで仕事に対する思いが変わるということが分かりました。
「看護師としての自分」と「本来の自分」を分けて考える重要性
―――Aちゃんと出会ってあゆみさんの理想の関わりができたときに、働く意味について考えたんですね。
働く人の中には「看護師人生の中に、私の人生がある」って人もたくさんいるけど、そうじゃない。
「私の人生の中に、看護師という一面がある」んですよ。
私自身の人生を考えた時に「看護師ってなんだろう?」と思って。
「看護師としての自分」と「リアルな自分」を分けて考えられないと、辛いと感じることがありますよね。
例えば「看護師として否定されたことを“自分が否定された”と思ってしまう」とか、「看護師としての失敗を、自分の人生の汚点だ」と思ったりする。
そうじゃないんですよ。
―――なんだか深い話ですね。
こういう話をすると、本当に大変な思いをしている若手からすると「誰が何と言おうと辛い」って、職場のお局と同じ感覚で聞かれるかもしれません。
同じ話を複数の人で聞いていたら、捉え方はさまざまですからね。
辛い最中の方は、世界の中で私が1番辛いと思っているし、誰に何と言われても辛いんです。
―――確かに。でもそんな大変な思いを乗り越えたあゆみさんの言葉は、辛い時期をちょっと乗り越えられそうな段階に来たときに知っておいて価値のある考え方なのかなと思いました。
災害時の医療・在宅現場の生の声をブログに執筆
―――あゆみさんのブログを見ていると、災害看護のお話も多いなと感じます。ここに興味を持ったのは何か理由があるのですか?
私は北海道の十勝出身なのですが、ここって地震が多い地域なんです。
子供の頃も震度3~5で揺れることが結構あって。
それを思い出して学生時代に在宅で生活される方を見て来たときに「この方たちって、もし地震が起きたらどうするんだろう?」と率直な疑問が湧きました。
大学の卒論で地域に暮らす災害弱者の防災意識について論文を書いて提出しました。
実際に北海道の地震で大停電があったときは、呼吸器をつけて自宅で一人暮らしをしている方の「停電でバッテリーが切れたら命がないよね。危ないよね」っていう思いを知っていたので、その方の了承を得て、ブログを書きました。
みなさんもご存じのとおり、2018年9月6日 北海道胆振東部地震で、北海道全域で停電が発生しました。電気のない数時間~数…
―――停電って大変…。
それから私は、地震の後にリーダーとして働いていたんです。
先生や師長がワタワタしているのを見ながら、スタッフに仕事を振っていました。
―――そんな中でも動じずにリーダーとして活躍するあゆみさん、すごいですね。
大学病院のICUにいたときに、大きな災害が起きたときに備えた訓練は何度もしていて、誰に何をしてもらえばいいのかも分かっていました。
大学病院で働いていてよかったです。
―――そういう現場でも、大学病院の経験は生きてくるんですね。
そうですね。災害時に医療を支える機能としてEMISという情報システムがあります。このときの地震では実際に機能しなくて医療機関同士の助け合いができなかったんです。
広域災害救急医療情報システム(EMIS)は、災害時に医療機関が活用するものだと思っていました。勘違い!!一般市民向けのツ…
それから、災害医療って実際に体験した人のリアルな話ってあまり出ていません。
なので、必要だと思うこと、私が体験したことを発信したいと思ってブログを書きました。
補助循環、人工呼吸器、人工透析など、停電が患者の命に直結するような病院は、自家発電装置を備えている場合も多いということは…
災害について、メディアの情報と実際には大きな差がある
―――このブログが役立つ方ってたくさんいると思います。
避難所について、テレビでよくみる「一時避難所」って健康な人のことしか考えていないんですよね。
福祉避難所は、一時避難所に来た人が移されていくのですが、そもそも一次避難所に行けない人は福祉避難所に行けないんですよ。
―――確かにそうですね。
Twitterを見ていても「高齢の親がいるから床じゃ無理」とか「発達障害の子は体育館にいるのが難しいから家にいる」とか。
障害者は床に寝られないし、段ボールベッドも絶対難しいですよね。
そういうふうに、テレビとSNSと自分が目にしていたものが繋がって問題点が見えてくると「これは他の人に伝えたい」と思い発信したくなります。
―――災害には、メディアには出ない多くの問題があるんですね。今まで考えたこともなかったです。
医療職の横のつながりを作るため、コメディカルの飲み会を主催
―――あゆみさんのブログでコメディカルの飲み会をしているとの記事を見ました(今はコロナでお休み中)。いつもどういうメンバーが集まるのですか?
Aちゃんの支援をしていた看護師の1人と企画して集まったグループです。
Aちゃんのサポートをしていた時は5人のLINEグループで連絡を取り合っていましたが、そこからみんなが友達を呼んで来て、最後は20人くらいの看護師が集まりました。
みなさん働きながら空いた時間を使っての活動で、20人の看護師が集まってやっと週2回の小学校の付き添いができるくらいだったんです。
―――20人もいたんですか! すごい!
メンバーの経験年数も経験している病棟もバラバラで。
ここで、職場を超えた看護師同士のフラットなつながりができたんですね。
自分がわからないことを他の人が知っていて気軽に質問できました。
このときに、横のつながりの価値って大きいと気づいて。
職場でしか医療職者の交流がない人って、その常識の中だけで生きてしまうけど、外の人とつながりがあれば可能性が広がると思って集まりを企画しました。
毎回10人くらい集まります。
看護師だけでなく、リハ職や栄養士、歯科技工士なども参加されました。
職場だと職種による壁ができることもありますが、飲み会の場だと職種の枠を超えた本音の話ができます。
今はコロナの影響で集まれないので、zoomを使ってオンラインで交流しています。
―――有意義な集まりなのでしょうね。私も福岡で看護師の集まりをすることがありますが、それとはまた違う雰囲気なのかなと思いました。
今後は「在宅で暮らす人と医療者を繋ぐ活動」をしていきたい
―――あゆみさんはこれから重心のデイサービスで働かれるということですが、そこでやりたいことは何かありますか?
勤め先は重心のデイ、看護師の面を持っている別な私は「医療職者の手を必要としている人と医療者を繋ぐ」というサービスをやっていけたらと思っています。
―――重心のデイはもちろん、その他のフィールドでも素敵な一面を発揮されそうですね。
デイでは、医療的な面だけでなくその子供たちを育てているお母さんがどんな考え方をしているかを大切に関わりたいです。
職場と別でやりたいのは、助けの必要な人と医療者を繋ぐ場を作ることです。
Aちゃんのケアは、医療職者の手が必要な人と個人間の契約で看護師をやっていて。
「1つの家族と20人の看護師」が小さなグループになって機能していたんです。
これからは、このような小さなコミュニティーだけでなく、世の中にいる助けを必要としている人と医療者のつながりを作れたらと思います。
コメディカルの集まりも活用しながら、こういう輪をもっと広げていけるように活動していきたいですね。
―――あゆみさん、私なんかが思いつかないようなスケールの大きい社会奉仕を描いていてかっこいいです! これからも看護師としての理想、1人の人としての未来を実現できるように応援しています。重心で働き出してからのお話もぜひ聞かせてください^^
まとめ:あゆみさんは、奉仕精神があふれる”白衣の天使的”看護師さんです
今回は、私と同じく新人時代をICUで過ごし、これから重心看護に携わるあゆみさんにお話を伺いました。
あゆみさんは、病院ナースを4年ちょっとで辞めてしまった私とは比べものにならないくらい、看護師らしさに満ち溢れた経験をしてらっしゃいます。
「何のために看護師をしているんだろう?」と考えた時期もあったそうですが、幼稚園時代に障害のある子と接していた経験から、学生時代の居宅ヘルパー、ICUやその他の転職経験、地域で暮らす障害のある方のサポートを通して「これからも人の役に立ちたい」という面があらゆる会話から滲み出ていました。
ここまで奉仕精神にあふれた方はなかなか会うことがないので、たくさんの刺激を受けました。
こういうスタッフ、現場にいてほしい!
素敵な話を聞かせていただきありがとうございます。
私のインタビューだけではあゆみさんの素晴らしさを伝えきれないので、興味を持たれた方はぜひブログを読んでみてください。